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*log部屋にある物は全部

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肌についた布団のシワが怖かった。昨夜はずっと赤ん坊の様に寝てた。

尿意で目覚める、でも体と脳はとても休みたがっていて、ああ、なんて疎ましい事なんだろう。空腹だ。外は暗い。電子レンジの上にブームの時に買ったカップヌードルのトムヤクン味がある。お湯を沸かす為コンロに火を灯す、何ヶ月ぶりだろう。

口の中に麺を運ぶ。塩分で血圧が上がり、体が生に向かっている気がする。生きている。いつからあったのか忘れた机の上の薄焼きせんべいも食べる。粉山椒を振りかける。ピリピリする。生きてるなあ。

ここの所、自宅で飲む物はお茶じゃなく水だ。理由は体に色の付いた物が通ると体のフィルターが十分に機能している気がしなくて体が侵されていく気がするからだ。体は死に向かってる。あ、でもコーヒーがぶがぶ飲んでる。ぶっちゃけ今も飲みながら文章書いてる、ごめん、それ気のせい。

気のせい、僕が僕の目を通してみる世界の8割くらいは気のせいから出来てるんじゃないか。正確な事ってあるか、電波時計の日時くらいじゃないだろうか。以上を踏まえた上で僕の話を聞いてくれるか。
僕は成すこと言うこと全て、全てが悪い方向へ向かっている気がする。喜んで貰いたいこと、尽くした事、行動した事が全て裏目にでる。僕はここ数ヶ月笑顔で別れる彼女の顔を見ていない。

忙しさに追われ、考える時間が無いと言うことは、お金が無い以上に不幸な事かもしれない(暑いの寒いのどっちマシか論に近い事かもしれないけど)。そして人との縁が無いという事は金や時間が無い以上に不幸だ。ジャンケンでいえば拳銃を出すみたいなもので反則級に強い。忙しそうだから、迷惑を掛けたくないという理由で人は疎遠にな…え、というか金や時間が無いから人は離れていくのでは。つまり結果であって秤に乗せ合う物じゃない。(でもそれだけじゃないと信じたい)

「何日君再来」

深夜、テレサ・テンの演劇がやっていた。彼女の歌った何日君再来は昔から存在する歌で数奇な運命を辿ってきたらしい、日中戦争期の日本と中国とか、国民党政権下の台湾とか、その曲を作った本人の思想から大きく逸脱し沢山の人に愛されたり忌み嫌われたり。気のせいが形になり肉がもりもり付いて力のある物になる。
テレサ・テンの晩年は孤独な生活だったらしい。静養で訪れていたホテルで発作を起こし42歳の若さで死亡。遺体は火葬せずエンバーミング(防腐処理)で現在も人形の様に眠り続けているらしい。孤独な晩年だったのにエンバーミングされてまで皆に愛されてるとはどういうことなんだろう。歌手ではあったけど人間にはなれなかったんじゃないかと思ってしまう。

しかしどうにもこうにもさいきん、救われない。つらい。どんなに頑張っても事実は変わらない(と言うとスッキリするけど精神レベルは低いままで解せないし)。みんなつらいでしょ?どうしたら希望を持てるか考えようよ。考える時間があるとしたらそれは恵まれている。

君はなんで作る?


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