countdown

タイムトラックをするアプリを入れた。

メニューバーの右上に00:00の表示が現れて何分何秒時間が経ったのか教えてくれる。

毎日Macの前で僕はコントロール+Tを押して時間を計る。何度でも。

1分30分に30分が1時間に1時間が6時間に6時間が12時間更に12時間が1日、1日が1週間、1ヶ月、半年、1年、10年、20年、50年、100年死んでる!
死んでる!

カウントダウンをしてる。

ちょうどその日はとても寒くて特に僕は仕事が終わって駅に着いてから自宅に歩いて帰るその間が一番寒く感じられてもうそうなってくるとスマートフォンを親指でさすってる場合じゃない。寒いし。首を下に傾けマフラーに顔を半分埋める。
前なんて見ない。下を向きアスファルトと自分の足が前方に何か当たったりしないかだけを見つめて歩く。寒い。スクロールする地面と機械の様に動く足、目の前が永遠にループするGIFアニメで気分はネットサーフィン中の快楽物質を放出する脳味噌のそれと同じでもう何も考えられなくなる。

気がつくと呪文の様に口から何かつぶやいてる。

「154815481548154815481548…」

1548、これはなんだろう。
きっと何か重要だと決めるのは何となく気が重いしかといって気になるしもうどう落とし前をつければよいのだろう。というか僕は本当は今、明日仕事があるのに真夜中のコインランドリーで洗濯をしていてそんな辛い気分を紛らわせるためにこの文章を打っているんだけど、そっちの今対面している現実のほうが気がおかしくなりそうだし、なるよ。なるぞ。なった。はい

とりあえず僕はその日から1548という数字を日数にしてカウントダウンしている。
あと1452日だ。1452日もある。もう1452日しかない。(パン!)

pan

その日が4月30日の話。

今、5月15日で、8日に僕は歳を取り、その日1人チカラめしでご飯を食べた。沢山のおめでとうに感謝、申し訳無さを感じながら。
僕は何を選び、何を捨てて生きてきたんだろう。

自分の行動が結果を呼ぶ、その選択に覚悟があったか。アスファルトの上に正座させ、イエスなら砂を、ノーなら泥を食べさせる。

人生も夏休みの宿題みたいに終わりが見えてくると自分がそれまでして来なかった事に後悔するのだろうか。最近はなんだかあたふたして少し疲れてしまったかも。みっともない。

全てが手に入れば良いかもしれないけど、それは多くの手に入らない苦しみに苛まれるだけであって何も手に入らなくなる。
でも欲深いのは良い事かもしれない。良いことだ。ただし、それはひたすらに愚直でなければならない。あれもこれもそれも、本当に必要だろうか。手は2本しかないし、頭は1つしかない。それを嘆いていては手2本頭1つで手に入る事も遠く離れてしまう。

だからこの先、自分にはどれとどれがあれば幸せなのだろうと、1つずつ長い時間をかけて口の中で目の細かい金タワシを唾液でゆっくりじゅわーと溶かす様に考えていく。

1437日。