しがつじゅうににち。

人はなぜ悲しい気持ちや苦しい気持ちになって不幸を感じてしまうんだろうっていつも思っていて、スピリチュアルというよりかもっと現実的な表現でいうとそういう病気に関する本を数冊か読んでいたりして。

いやでもそれは、不幸を感じる心についてではなく、そう、不幸っていうか、なんていうんだろう。違うな。
人間はどのような状況になって常に気持ちが満たされていると感じるような生き物ではないし(でもだからといって感謝を忘れるのは良くないぞ)

常に良い方向へ歩んで行きたいという思い、幸せになりたいというその気持ちを持つ事こそが泥臭いかも知れないけど、人間らしい生き方というか。命の正しい使い方だと思っていて。(でも自分にとっての幸せが一体何なのかを選択出来る価値観を作らないと迷子になるぞ)

たとえば、そういう自分の中で目指すべき場所を決めて、そこへ全力で向かっていこうと命を燃やしながら進んだ時、心がポキッと折れてしまったら一体どうなってしまうんだろう。とかそんな事考えてた。
だからさっき先述した不幸を感じる心というよりか、心が狂う時、精神が壊れるとき。どういう事が起きるんだろう。そんな事に興味があった。

し、もし、その知識で、少しでも自分で前兆を感じられる事が出来たら、先人の方達が残した情報が自分を救うかもしれないという希望があった。
とか色々動機を書いたけど、単純に言ってしまえば、毎日仕事だけでは技術は付くけど、自分が作品を通して表現したりする考え方や思想や原動力は付かないし、何か頭の中に情報をインプットして巡らす事は大事だって思ったんだよ。

と、ここで今までの文を振り返ると僕は誰かにまるで弁明をするかの様に文章を書いてまるで懺悔みたいだ。

「僕は僕の頭の中で物事を良い方向へ動かしたいと願いながらも自分の行動によって何か悪い方向へ動かしてしまうんじゃないかと少しでも物事を良い方向へ動かしたいという思いが強いために慎重になり疑い深くなり、自分の頭の中でもさえも第三者の目を作り上げて自分で自分自身を監視してその監視に苦しんで結局物事が悪い方向へずるりずるりと動かしてしまってるんじゃないか。」

という事が起きるので、その監視者に向かって「おい、焼きそばパン買って来いよ」と言えるくらいの気概が必要なんです。

いいかい、男の子は強くなくちゃダメだぞ。
マジだ。あと隠してばかりしゃ強くならない。
それに焼きそばパンは嫌い。