bugtronica
やあ!元気かい?
僕だ!こうやってツラツラと文章を書くのも久しぶりだね!
君がこうやってページを見てくれてるのも嬉しく思うよ。

僕が2012年3月の頭に制作をスタートした携帯版BUGTRONICAのリメイク&パワーアップ版の”BUGTRONICA for Smart Phone”はつい最近、2013年の8月22日に完成したんだ。
それは1年と5ヶ月強も掛かったってわけで本当に長かったなあ。ふう。
色んな事があったけど、うん、そう、まあ色んなことがあったんだよ。楽しい事とか嬉しい事、そして悲しい事とかもね、起きたんだよ。

多分僕はこれから嫌な事を書くかもしれない。ごめんね。

でもそれは、僕の経験が体の中に染み込んで知らず知らずのうち同化されてしまう前に、一度ちゃんと形として出してそれを目で確かめてゆっくりと口の中で噛んで飲み込み消化しなくてはいけないんだ。もう同じ楔を踏むのはごめんだしね。
それにここはTwitterやFacebookみたいな大通りじゃ無いしm7kenji.comという路地裏だ。路地裏ってのはジメジメして光が届かなくて、、ゲロもあったりして、、そう君は大変な所に来たってわけ。

正直言うと僕は疲れてしまってる。

BUGTRONICAを出して疲れたよ。この気持ちはいつまで続くんだろう。虚無感ってやつだ。でもまあ僕は楽しい事が大好きだし、なんとかしないとね。出来ることはするよ?それが今文を書くということなんだろうね!

僕はね色々あって1人になったんだよ。それは一方的ではあるけど、ある事がキッカケだったんじゃないかって思ってる。少なくとも僕の方ではね。酷い事をしたと思うよ。

2012年元旦に当時付き合っていた彼女の、僕も仲良くしていた兄弟が縊死したと連絡が来て、それからかな。2人の歩調が目に見えるようにズレていっちゃって。彼女は段々と自堕落になっていて、僕の方は今までにない様な挑戦と仕事が増えていって、自分の未来に逃げていった。

BUGTRONICAはそんな変化の中で少しずつ作られていったんだね。

彼女は僕の手を振り払い事実を知らない色んな男の人と頻繁に夜通しお酒を飲むようになって必死に考えないようにしてた。僕は1人めまぐるしい日々とプレッシャーの中で時々ポカンと空いた空洞の様な時間が生まれた時はBUGTRONICAの事考えてた。そして自死の事も。
誤解のないように言うけど作中に人の死を引っ張りだしてダシに使おうなんて考えは全く無かった、ただ僕の人生の中でその事を無かった事にして無視して迂回して自分の気持を込めた作品を作るのが無理だった。なにより実際に身近で起きたその事に答えも自信も持てず不安定だった。

粘土をこねて形を作るように、はやく自分の頭の中のそれを何らかの形にして見つめては直しを繰り返したかった。自分の中で残っているそれをどうにかしたかったんだと思う。しかし僕は自分自身の技術力の無さのせいでその土台さえ作る事が出来ず、新しく覚える事も多すぎて中々前へ進む事が出来なかった。

そして秋には僕は彼女を家から追い出す形で、彼女は家から飛び出す形で、離れ離れの暮らしが始まって、2013年の冬に海外のイベントから重いキャリーを引いて1人家に帰って来た時に、もうこの関係は戻らないなと思った。出国直前でドタバタして荒れたままの部屋を見て今まで何をやって来たんだろうと思った。とてつもなくどんよりした虚無感に襲われた。

そこから生き方を改めて考えるようになったかもしれない。僕は欲張り過ぎたし必死過ぎた。慎ましく生きたいと思った。虚無感に対峙しなくてはいけない。そして何より中途半端なBUGTRONICAを完成させなくてはいけない。区切りを付けなくてはいけない。完成予定を今年の夏にした。

めまぐるしく時間が過ぎていった。僕はまた1つ歳を取る。20で社会に出た時に似た将来への莫大な不安のちらつきが具体的に形を帯び始める。まわりの友達の環境の変化も増えてきた。有難い事に僕は素敵な仕事に携わる機会を続けて頂けていた。制作する手を止めてはならない。ここで期待に答えることは僕がこの生活を続ける理由と糧になる。

そして8月下旬、缶詰になった部屋の中でBUGTRONICAは完成した。

頭の中のそれはどうなったのだろう。
僕はBUGTRONICAのエンディングのその先に手を加える様な事はしていない。それは、どんな不幸と重ねてもその時出した答えは未だに僕自身を救っているものであり、揺るぎない物であるからだ。

その代わりにそこに至るまでの過程を深く掘り下げる形になった。いつのまにか本作の敵でもありボスでもあるビットファットヒューマンが自分に重なるようになっていた。

彼がいいえを選び、もう一つの強敵を倒した時、彼は膝から崩れ落ちる。空を見上げメッセージが出る。救わなくてはいけない。表のストーリーへと繋げる動機付けとなった。ハッピーエンドとかめでたしではない。ゲームの中で満足してはいけない。今まさに動かなくてはいけない。

僕は昔制作をスタートした時に「救いようの無い作品は作りたくない。
」「自分自身を救うために作品を作りたい」とも言った。救えてない。だめだめ。でも聖書を作るような大層な意識も無かったし、少なくともどうにかしなくちゃという気にはなった。やったね。

正直僕はもう本当に色々参っちゃてヒドい時には僕が何かを作る事は身近の人を不幸にさせるなんて思いにだって駆られちゃってる。それほど、沢山の事を無視して、1つの事だけを選択して根詰めてしまったからだ。

やっと色々仕切り直しだ。
色々救われた事もあったけど、今は自分の足で立たなくちゃいけない。
これからどうしようか。多分、まずは普通に生活することだと思う。

当たり前の事を当たり前に出来るように。僕は随分と長い間、当面の目標は自宅でカレーライスを作るの事と周囲に漏らしていて、いい加減本当にカレーライス作らなくちゃいけない。カレーライスを自宅で作れる環境はどういう物かというときっと外食をやめて、台所は清潔にして、いつでもガスコンロは火を付けれる状態で、調味料や調理器具が揃っていて、冷蔵庫には賞味期限切れの食べ物が一切無くて部屋は掃除してお皿を置けるようにして、夕方近所のスーパーにトコトコと歩いて行く時間の余裕があって、何も考えずジャガイモの皮を黙々と剥けるような、そんな精神的衛生を持つことだ。

考えてみろ、カレーライスも作れないような奴に何が作れるんだよ。ああ恥ずかしい。

そしたら、次へ、新しい物を作れるかもしれない。

出来れば今回のような作り方ではもうやりたくないし、がむしゃらに頑張った後コケずに着地出来る場所も欲しい。
でも、うまくいくかな。どうかな。

お前は一生同じ悩みを繰り返すんだよと自宅下の塀の隅っこの暗闇に見たチェシャ猫にいつかはっきりと言われるかもしれない。

それは少し贅沢な事なのかもしれない。

2013/9/7 少し猫背で。

human