過程と結果どっちが大事か。
そんな話題がいつぞやのラジオで語られていた。

結果を示さなければ伝わらないという当たり前の事だけど、キンキンに冷えた水をぶっとい注射器で頸髄に注入するかのような現実。

困難や新しい物事に立ち向かう時、自分を奮い立たせるために語る希望が捉え方によってはただの不安材料でその不安材料が聞く人の心を曇らせた時、僕のやっている事はただ不幸を生み出してるだけなんじゃないかとヘドロの様にこびりついたトラウマが排水溝から鈍い音を立てて逆流してくる。
もうこうなると弱音をオエーと吐きそうになる。でも排水溝の逆流を抑えるのが必死でどこへ吐けばよいのだろうとか思ったり。とかね、昔の話。

過程は内面で自己の価値基準に基づく評価で、結果はそれとは反対の外側で社会的な価値基準(例えば皆にとって有益か或いは富や名誉や質など人と比べて価値が分かる物)に基づく評価だと思う。

過程は人生そのものだと思う。手や頭を動かし追求し失敗したりやり直したり考えたり粘土をこねる様にじっくりと形を作っていく。過程を大事にしないということは人生を大事にしてない。形の無い物をパテで表面だけ埋め合わせて綺麗にする感じで、常に自分を他人と比べたり嫌われない様に気をつけて、自分がそれをどう感じるかなんて差し置いて表面的に良い結果を維持し続けようとする。過程をすっ飛ばした結果ほど陳腐な物はないと思う。

自分の人生はほぼ過程だ。過程を大事にして生きたいと思う。その過程から生まれる結果で社会との接点を見つけていきたい。