僕の帰宅時間は大体夜に帰る。
これでも早い方で、
(僕の知る)世の中の大体はまだ働いている。
だってほら働かないとね。評価されないんだってね。
質より量。その時間を何をしていたかにで評価される。
「毎日12時間以上勉強してます!!」っていわれたら頭よさそうだもん。
いやーすげー。

いかに濃密で隙のない時間を過ごすかが重要なのだろう。
昔と違ってエレクトロニクスな未来になってしまった今、
ポケットの中のガムを噛んだり吐いたりするが如く
手軽に情報をINOUTできる時代、
もはや我々には空を見上げて雲がどんな形に見えるだとか
そんな事を考える猶予も与えられなくなってしまった。

スポンジの様な私達の頭にコンテンツが隙間なく入ってくる。
水を吸うことも空気を通すことも許されない。弾力性も失うだろう。
情報密度の高い時間は不気味に輝きはじめる。
でもそれは、浸しぱなっしのティーパックの様に
苦くてオエッとするのだ。

みんなはそれをさも旨そうにすする。
苦いってことを誰も言わない。砂糖もミルクも入れない。
苦いって言ったら大人じゃないって彼らはいうんだね。
お互いを監視してそれを恐れている。

我々は隙間の存在に対して非常に鈍感だ。
自分の中にある隙間に気づいていれば、
好きな絵を飾ったり、本棚を置いたり、花を植えたり出来ただろう。
その隙間は、いまでは。