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*log


ニュースサイトは常に話題を提供する。

それは時間潰しになるし時折重要なことを教えてくれることもあるけど、大抵は君の心にとって一番重要なことは、当たり前だけどニュースになっていない。INPUTは憧れや気づきがあってほしい。ショッキングや義憤はいらない。

(ほどほどに)


*log20cmのゴムテープのために


希望を失った僕は幹線道路沿いのコーナンに光を求める。

コーナンはホームセンターで賃貸暮らしには無用な大きな鉢植えや大きなドリルとか木の板とか野菜の種とか日用雑貨を扱っていて幹線道路沿いにある。

自転車につけるiPhoneホルダーの装着具の直径がハンドルの直径とどうしても合わなかった。
今まではそこらへんに転がってたスポンジを巻いて騙し騙し使っていたが経年劣化でボロボロになってしまった。ついに年貢の納め時というわけだ。

自転車本体からの振動を吸収する適度な弾力性があって、ハンドルに巻くために柔らかくて外の雨風や日差しにも劣化しない、ちょうどゴムのようなシートが必要だった。
そんな素材が必要な場合、どこへ行くんだろう。100均?東急ハンズだろうか。100均は置いてなかったらガッカリするし、東急ハンズはきっとあるのだろうけど、そのためだけにわざわざ渋谷とか新宿とか騒がしいところに行くのもバカバカしい。

だからもう僕は道中偶然に出会ったコーナンに救いを求めるしかなかった。コーナンには生活があり、生活に向き合うという行いは絶望を切り開く希望だ。
ゴムコーナー(?)には沢山のゴムがある。折り紙の様に真四角に切られたシートや凹凸のあるシート、厚さも1mm~数cmと沢山の種類が棚に陳列されている。
シートは自分で裁断すればいいのだが、定規で印をつけてそっとカッターをあててなどの作業を想像すると煩わしい。
となると残る選択肢は棚の一番下にあるテープ状のゴムだ。1m248円。
テープ状のゴムは幅2cmで厚さ2mでぐるぐる巻いて厚さを微調整するにも丁度よい。

しかし買い方が分からない。ハサミがあれば自分で切るがそのような物も無い。
おそるおそる店員呼び出しボタンを押す。店内の華やかなBGMが呼吸を止める。待たせる間もなく駆けつけた末に20cm分のゴムを切ってくれと言われた店員さんはどんな気持ちだったのだろう。
会計は50円だった。いい年をした大人が。カゴいっぱいに生活が詰まった客が並ぶ中、50円の会計を済ます。

本当は10cmもあれば十分だったけど、なんだか申し訳なくなって倍の20cmにした。それも無駄だった。
日が沈んだ幹線道路沿いを自転車で走り帰路につく。半世紀ぶりに拭いた車体がまだやれると慰めてくれる。

20cmのゴムテープを買った。それは通販でもコンビニでも百均でも手に入らない。それだけでも自分の人生の中で大きな進展と言えよう。
 
だから今日の晩ごはんは雑でいい。


*logGhost君ってのがいてさ


彼はこの間突然死んでしまったのだけど、
と言ってもリアルの世界で毎日顔を合わせていた仲ではないし、ネット越しの付き合いだったから棺に入った彼を見るまで現実感なんて全然無くて。
涙なんか出なかったよ。でももう会えないんだ。会えないんだぞ。って頭の中で反芻していた。

彼と出会ったきっかけはロクジョーヒトマだった。
当時はまだ高校生だったけど変わり者でゲームボーイアドバンスにロクジョーヒトマ4を1から移植していた。動いている開発中のゲームを見て興奮したな。


今の時代ゲームを作るのは敷居が下がっていて有名なソフトを使えば誰でもそれなりの物は作ることが出来るんだろうけど、その中でも彼は最初から独特の拘りを持っていたし僕はそんな彼の性格が好きだった。
それをきっかけにSNSで繋がってChiptuneのイベントにも来てくれてご飯も何度か食べたし会社にも遊びに来てくれた。
僕は彼がどんな成長をしていくか楽しみで。てか、いまsoundcloudに上がっている曲聞いたらむっちゃいい曲作ってるじゃん。抑揚があって、煩いだけじゃなくて、アレンジだとしても良いな。はあああああ、死んでんじゃねえよ〜、何やってんだよ。

とにかく僕は彼の未来が楽しみだった。ヒトマの完成だけじゃないよ。この先彼がどんな人生を歩んでどんな作品を作っていくのかが楽しみだった。
今の時代アーティストなり絵や音楽プログラム映像とかく何でもクリエイティブしてる人らは外から見られる自分のイメージを大事にしてるし、自分の作品の宣伝も上手いけど、僕は彼のそういう部分に対しての不器用さや不安定な所も好きだった。
なんて言うんだろう、コミュニティの中でうまくやろうっていうのではなくそれ以前に自分の人生や死生観、漠然とした大きな不安に対し逃げも隠れもしない姿勢がとても真摯だったと思う。本当に純粋だった。まあこれはいくらでも自分が後付け出来ることなのだろうけど。
でも僕は技術とか世の流行りとか皆がイケてると思う物とかを全部無視して自分の深い井戸の中にある様な感情を形にした作品に触れてみたかった。


はあ。いま何考えてんだろう。

僕はGhost君の事を何も知らない。友達っていうほど仲が良かったわけではないし彼のサブ垢もフォローしてないし。ただ俺は彼が思い悩んだ末とか全てに絶望してそういう事をしたとは思ってない。絶対に心の炎は消えてなかったと思う。急に突風が吹いたようにフッと飛んで行ったのかなと思ってる。だからこそ、だからこそ馬鹿だよ。馬鹿って言わせてくれ。本当は君は馬鹿じゃないし俺より頭いいけど馬鹿って言わせてくれ。そしてもし次があるなら上手くやってほしい。
この先の未来、沢山の人が生きる大きな世の中のスケールで言えば、どんなにすごい人が死んでもその欠けた部分はまるで水に穴が開いたようにすぐに塞がって何事も無く進んでいくと思う。残酷だけど。それはもちろん自分が死んでも同様。多くの人の記憶やネットの記録からもやがて無くなる。
このサイトは自分が死ぬまで残していくつもり(死んでサーバー代が払えなくなったら消えちゃうけどね)だし、僕が死ぬまで僕から見たGhost君という人間の事は僕の人生のためにここに残しておこうと思う。

気持ちの整理は以上です。
(加筆修正はある)


*logソロチェアリングについて


中央線から向かう場合、中野駅で東西線に乗りかえて東陽町からバスに乗って向かうのが通だ。
東陽町駅のデイリーヤマザキには手作りのパンや豆大福やおにぎりがあるし、鯖パンとかかなりチャレンジャーな食べ物もあるし、50円のチョコケーキ(駄菓子の)やノアールが山積みされていて。それを見るだけでもパワーが貰える。生きる活力が満ち溢れているのだ。
バスは1時間に2本か1本しかこないから前もって時間を計算してバス停で待つようにする。乗車して15〜20分くらいで若洲キャンプ場前に着く。君は途中で見るいつも見るローソンとは微妙に違うPORT STOREに興奮を覚えるかもしれない。

カニの形をした時計台(手足がちゃんと10本ある)を通り過ぎれば若洲海浜公園だ。

眼前、対岸越しを跨ぐ東京ゲートブリッジは夏場以外は16:30までしか入場ができないので着き次第早めに渡った方がいい。だってそこはとても見晴らしが良いから。ゲームの背景みたいに綺麗に並ぶ都心のビルを見ることが出来る。うっすらと空に混じってるようなそんな色が好き。
今は渡れる事はできないけど、近いうちにきっと中央防波堤側、海の森公園へも行けるようになるだろう。

ゲートブリッジから戻ったら、その辺を散策して見晴らしの良いところで携帯チェア(ロッキング付き!)を展開して座る。
デイリーヤマザキで買ったコーヒーとパンを食べる。ロッキングでユラユラしながら遠くを行き交うタンカーや貨物船を眺める。スマホは極力見ない(難しい)。

ここまでいくと自分は自分のことをやっと考えられるようになる。
でも大抵自分のことを考えると中々そういう機会がないから結局毎回同じ様なことを考え始めてしまう。だからもっと、こういう機会を強制的に設けるべきだ。

帰りはバスではなく、シェアバイクを使う。これは最近覚えた方法。
登録は死ぬほどめんどくさかったけど一度すればiPhoneをかざすだけで乗れるようになる。
道路は走らずなるべく海岸沿いを走る。東京都港湾局東京ヘリポート横に伸びる新木場緑道公園はおすすめのサイクリングロードだ。
入り口から少し入って角っこにあるベンチは本当に自分が好きな場所。騙されたと思って一度は行ってみてほしい。何がいいって角にあるから視界がパノラマに海へ開いてるんだな、それでいて寂しい感じがとてもよい。

再び自転車を走らせてイルカの壁画と遠くでボゥっと光る葛西臨海公園の観覧車を眺めながら公園を出る。途中大きな橋の下で高い外壁に登りぼーっとしてるおじさんに出会う。いつか真似をしたい。
車道に出るともう家に着いてからの事を考えてる、仕事のことだったり晩御飯の献立だったり。
新木場駅についたら自転車を返す。そこから有楽町線に乗って家路につく。

そういう休日の過ごし方。


*log190118

時間が無くなって焦って最後はゆっくりと諦めていくその感情にどこか人の一生と人生の縮図の様な物を感じた。絵が描けない、自分の思うような作品が作れない。作れないというよりは”思う”事が出来ない。

終電前、渋谷駅への道を歩く。
桜ヶ丘の解体工事のまっ白い壁が延々と城壁の様に並ぶ。キャンバスに見えた。自分が描く絵はどんな場所にあるのだろう。小綺麗な格好をした人が前を歩く、自分はなんて無頓着な格好をしているのだろう。

いつもいつも、真っ暗で何もない、人は人生はそれを、いや、自分だけだ。自分の様な燻っただけの人間は真っ暗な中にいて自分の光から反射するものを見ない。弱すぎるし、光を出さない。

蛾の様に光を求めて届かない光を羽をボロボロにしながら射幸感だけを求め、その気持ちで真っ暗闇から逃げているだけだ。

悔しい、悔しいという気持ちに向き合ってほしい。何もないんだということを、そういった絶望の中で生きて欲しい。


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