道の先は行き止まりだった。
僕は河川敷のベンチに座っていて、
目の前を自転車に乗った男が通り過ぎた。
ここは通れないよ。
土手にのぼって迂回しないといけないよ。
男は行き止まりの道を選んでしまった。あいつは必ずUターンをする。来た道を引き返すんだ。そしたらまたベンチに座る自分の目の前を通り過ぎる。
川の流れが逆流するように、水底で眠っていた泥が塵をまき散らして吹き上がるように、
過去から未来へ一定の早さで流れていく清らかな物事のめぐり合わせが濁る。
男は行き止まりの黄色い柵を外して陸橋下の自分の背丈程伸びた草むらの中に消えていった。
僕とその男は二度と会わない。
肯定すること、何が正しいか何が正しくないか、何がそれを正しいと信じる事を導くか。何が支えとなりそれを守り貫き通すか。でもそれは2本の足で支えないといけない。
何が正しさを脅かすのか。それは他人に引き摺り回された正義だ。
カウンタースクロールバーにクリックカラーボールはじけて、カラーボールはじけない、はじけないカラーボール。35日、右に寄せ、幅に寄せ、選ぶ事がないからシナモンロールに縦横がはっきりしないコントローラをコントロール、が効くようには両手でそれを握りしめる、事が出来る人間工学に基づいたお前が伝えたい理屈をタイヤのチェーンの汚れを親指に擦り付けるかのごとく恨み辛みはリサイクルショップで安値で売り払い泡がブクブクぶくぶく消えないうちにスプーンで食べる、わける、中から、大層な段差にコミュニケーションとコケた油と混ざったお前の心情のやりどころを深夜まで父親の様にでかいスピーカーがお前の服と肌の隙間を揺らすような濡れたお札を乾かす様に濡れた紙の価値を信じるように心の居心地の悪さを感じ得ない口の上を滑る水飴の様な心の清らかさと率直さを愛おしく思うように水に浮く油が逆さに時間を流す様に国道246号線を南下して手についた粉を舐める様な二週間。
「僕を忘れてくれませんか。」
ぐでんぐでんのうどみんみたいなきしめんパスタを喰いながらくそがクソ以上にネットの公共性と数の暴力を、そしてそれに気付いた自分が如何に自分に才能があるかを語ってくる。
「私は結構それでね、ビックリしたんだよ。君は気づいていないかもしれないけどね。」
でも、、おれ自信ない顔で話されるより、自信持った顔で話す奴を信用するよ。
俺には自信なかったんだ、そう、自信がなかった。
だからもう、これ以上誰かに消費され続ける生き方はやめよう。
君が得たのは、精神の中だけで、得たものであって、そう、精神で事を得るというのは、人間だけだ。もし、人間でありたいのなら人間である前に、まず生き物としてであるとそんな、気がしている。、いいことがなんと、あってほしい。れないからどうすべきなんだろう。
お前がお前に帰るということ、
お前がお前を背中をグーで力を込めて殴ること。お前が柵に閉じ込められ柵ごと水にゆっくりと沈められるとき、力なしに柵を握る時の力の頼りなさを。お前の首の爆弾が破裂した時、お前は肉人形のように四方へ吹っ飛び下顎の無くなった頭が乾いた地面に転がることを俺は知っている。