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*log頭の体操の為の漫画[その11]










芋より米


*log半分あきらめる。

半分あきらめる。
半分あきらめる。

家にもまだ帰っていない。

僕はグラスに半分残ったお酒にさよならして外をふらふら。

手垢のつきまくった言葉で根性とか意地とか努力とか覚悟とか漢字2文字で、
みんなそういう言葉を嫌う。
根性とか意地とか努力とか覚悟なんかでは解決出来ない。
私の問題はそんな簡単ではない。
みんなそうだ。そうか。

辛い苦しい嬉しい楽しい悲しいどんな話でどんな言葉で聞いても、それを測るのは自分の経験で目盛り付けされた定規しかない。

極端な話、癌になった人の気持ちを本当に知るには癌にならないと分からないし、リスカしたいけどそこまでする勇気がなくて爪を立てる人の気持ちも実際なってみないと分からないし、いじめられっ子の気持ちも同じ仕打ちを受けないと分からないし、トぶ感覚も体験してみない限り分からないし、海外のニュースで見た恋人の唇食べた人の気持ちなんてのも本当にそうなってみないと分からない。

理解しようという心が足りない?
いやいやそれは違う。なんだか自信満々な人もいて、ダンボールに貼ったガムテープのようにプライドをびっちりと張り付けている。
自分にとってのオンリーワンを付箋紙みたいに簡単に剥がされたら虚しいから

その点みんな必死だ。悩む人ほど必死だ。

でも、その行為自体が巨大な工場でベルトコンベアの上に載って大量に生産されるおにぎりの様なもんだって気づいて欲しい。
君が背負っている物は遠い他人から見たらせいぜい梅か鮭か’おかか’かシーチキンくらいの違いにしか映ってない。それは飾りにもならない。

だから行動しなくてはいけない。
君の今が居心地の悪い物ならば行動しなくてはいけない。傷口を見つめ続ける様な生活に解せない気持が少しでもあるのなら。

酷な事だけど半分は諦めなくちゃいけない。
どうしようもない事は諦めなくちゃいけない。
他人の評価も自分の首を締めるなら諦めなくちゃいけない。
将来避け様のない恐怖が必ずやって来るのならそれも諦めなくちゃいけない。
とにかく、今どう時間を費やしても解決出来ない事は諦めなくちゃいけない。
1人前に人並みに生きることなんて諦めなくちゃいけない。
そもそも今の自分が人並だなんて思う事を諦めなくちゃいけない。
それを認めなくちゃいけない。認めざるを得ない状態にしなくちゃいけない。

そしたら残り半分、もしかしたら半分以下かもしれないけどそこに何が残るか。僕の場合は生きるのを諦めるという所までは行かなかった。
ただ、少しぐらい楽しく生きたかった。

少しぐらい楽しく生きれればいいので大概の事は気にしなくなった。
陰口を囁かれようが外見を貶されようが一人になろうが、どれだけ非難されようが気にしなくなった。自分が悪いと思う癖や性格も気にしなくなった。そもそも諦めていた。

そしたら退屈になってきたのでもう少し楽しく生きたいと思った。
でも諦めた事は諦めたまました。別の角度からもう少し楽しく出来ないかと思った。
今出来ることをした。自分自身の期待に答えられなくても半分諦めているので、せいぜい溜息をするくらいで失望する事もなかった。
自分の底辺具合が分かってるのでそれに見合う事をコツコツしてきた。

予想通り自分の理想の1/3くらいのスピードでノロノロと物事は進んだ。そのうち、少し楽しい事が段々大きくなって、応援してくれる人も出て来た。感謝をしてくれる人も生まれた。自分を認めてくれる友達が出来た。いつの間にか自分の予想を大きく超える事が生まれたりもした。

それでも今とても楽しいかと聞かれたら僕はNoと答えると思う。毎回僕は自分に失望して溜息をついてる。でも少しは楽しいと思っている。


そんな姿を見てある人は言う。

「貴方みたいに根性とか意地とか努力とか覚悟では解決出来ない。私は強くない。」

違う、違うんだと僕は思う。
言葉を頭の中で必死に探す。
でも、簡単な言葉でそれを
表す言葉なんかないよ。

僕はつい焦って意地とか努力とかそれに似た言葉をポロッと出してしまう。

相手は遠い方を向いて溜息をつく。

そして今日も巨大なベルトコンベアに載って梅か鮭か’おかか’かシーチキンをお腹の中に詰められていく。

そんなおにぎりを見て、
僕は自分を責めて失望して溜息をつく。
我ながらなんて酷い性格なんだろう。って。

そして半分諦める。


*logRingoがやってくる。


Ringo、Blipが終わって日本に帰ってからイベントや他の事も色々挟みながらコツコツ作っていたけど、
やっとAppStoreに申請を出したところまで行けた。そう、あのRingoのiPhone版がうまく行けばそろそろリリースされる。

今回は一息ついたらAndroid版も出せるかも。出したほうがいいよね。
需要は必ずあるはず。
僕は個人的には日本特有の携帯文化は良いところ悪いところ含めてAndroidが引き継いでいくのかなあと思ってる。最終的にはハードやらOSは全部関係無くなるとは思うけど。
でも僕は今ここでそんなTechCrunch的な俺達時代の最先端的★な書くんじゃなくて、もう少し救いようのない事をダラダラと垂れ流すあるんじゃないかと思う。


りんごをただひたすらに広い続けるゲーム、「Ringo」を一番最初にリリースしたのは今から3年くらい前の2008年の9月3日だ。

あの時の僕は頭の中が丁度よい感じにショートケーキの断面図みたいにクリームっぽいっところとスポンジっぽいところ組み合わされていてYouTubeにゲームボーイで作った音源を奇っ怪な言葉と共に頻繁にアップしたり、栗しぐれおいしいって思っていたり、なぜかゴールデン街でとびきりキュートなニューハーフの子に恋をする夢を見たり、閉店前のOKストアでチキンカツカレーが半額で買えたらいいなと思ったり、じゃがりこのチーズ味食べながらああはやく人間になりたいと望んだり、もう栗しぐれおいしいって、つまり回りに気を使ってブレーキを掛ける必要のない環境だった感じなので、

ああ携帯で、こんな手のひらの小さい機械でりんご、りんご拾えたら、永遠にりんご拾えたらむっちゃ楽しいだろうなあ。りんご拾ってぷぁーってなって、またりんご拾って繰り返してそんな滑らかな座標移動を僕も一端のプロっぽく実装出来たらもしかしたらカッコいいのかもしれないっと思ってそれより服買ったり眉毛整えたり散髪行って身なり整えたほうがカッコいいに近づけるのかもしれないのに

とにかく僕は僕自身の救済のために作品を生み出すしかなかった。

(展示も近かった)

深夜の生田のガストでプログラミングを開始する。仕事場で見たFlashゲーム、あんなに滑らかにキャラクターが動いてた。僕のFlashでは未だヒトマのカクカクpc._x += 2;的な移動が限界だ。
ちっくしょうどうやったら動くんだ。でも僕がこの間購入した携帯Flash本に書いてあった滑らかなページスクロールの実装方法のあの数式をぶっこんであとはちょっとゴニョっとすればうまくいくんじゃないだろうか?
僕の思惑はみごと当たり、画面の中の少年がまるでスケートリングの上にいるかの様に滑りだした。あの時はやってやったぜ!へへと思った。

実際その基本的な少年の動き方の考えは3年経った今でも変わってない。だからこう、昔が懐かしくなってくるのだね。

このゲームの目的は?とよく聞かれる。

このゲームの目的は
「りんごを拾う事」が目的だ。

コンボや敵は出てこないのかと聞かれる。

このゲームは「りんごを拾えればいい」ので既存のゲームにあるようなシステムは必要ない。

もしそのような機能を実装させたらどうなるだろう?そしたらこのゲームは
「りんごを拾ってコンボを出すゲーム」に変わってしまうだろう。目的が変わってしまう。
それは作品のアイデンティティの崩壊を意味する。

もっとも僕にそういった機能をささっと実装する能力が無いのも理由の1つだけど、そういうゲーム性の高いアプリは既に世の中に沢山あって沢山の人達がそれを遊んでいる事実があるという事も大きい理由だ。僕が脳みそ汁振り絞ってそれをいわゆる「標準」に近づけるメリットはどこにもない。

Ringoは補うアプリだと思う。
りんごを拾うと不特定多数のドットの形と言葉が画面にぽっと出てくる。例えば
「ひとりで かえろ」という言葉が出てくる。
その言葉はある人にとっては
「一人で帰ろ」かもしれないし、
他の人にとっては
「一人で変えろ」と受け止めるかもしれない。

だからゲームの世界の設定に没頭するというよりは、自分の記憶の引き出しを覗きながらプレイしてほしい。まるで夢をみるようにプレイしてほしい。眠れない時にプレイしてほしい。布団の中にでも潜りながら。

誰でも漠然とした不安を抱えることはあると思う。どこか心の中で穴は空いてるものだ。

それを埋めるために既存のゲームにあるような完成された世界に自分の分身を作って身を委ねるのも悪く無いとは思う。
でも、たまには「りんごを拾う」事だけに徹して自分の頭の中を冒険してみるのも悪くないだろう。

すべて人に対して時間は平等の速さで流れている。君がその手のひらの中で、素晴らしいゲームをやって地球の危機を救おうが、ただりんごを延々と拾っていようが世の中で起きてる事は変わらないのだから。


※追記
Ringoは現在AppStoreへ掲載するためApple側に審査を申請中です。
申請却下を受けなければ早くて今週中リリース?の予定です。
リリースされた際はTwitterではしゃいだり、
このBlogでもお知らせしますので宜しくどうぞ!


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