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12.6.29 LWN Solutions LLC Corporate Wellness Retreat

Jerry Paper

NY、ブルックリン在住のLucas W. Nathanによるプロジェクト。Oneohtrix Point Never , Emeralsといった新しい世代によるニューエイジ/アンビエントシーンは益々盛り上がる傾向にある。その中でもJerry Paperはアタマ一つ抜け出た個性で、差をつけている。元々Zonotopeを名乗り、PCM音源とアナログ・シンセで、プリセット・ミュータント・アンビエント(?)とでも呼べるスタイルのサウンドをカセット、CDRをリリース。耳の早いリスナーの間では早速話題に。そしてJerry Paper名義では彼の個性が思う存分に爆発。ハワイアン・ミュージックとAIRとカントリーが絶妙なバランスで融合したオンリー・ワンの音楽性を確立。 彼のパフォーマンスを日本で体験できるのは、このタイミングでは奇跡!是非とも、体験し、ハートに焼き付けてもらいたい。
http://soundcloud.com/zonotope-tm


6月29日(金) open/start 18:00 西麻布 Bullet’s
エントランス・フリー(ドリンク代 700円)

◇LIVE
Jerry Paper
Geodezik
SUNTRA
macotom3
de!nial
◇DJ
nobunaga
Baxim
◇VJ
TSV
m7kenji

http://digitalage.web.fc2.com/


*log体壊すといいこと無いよ。なんで体壊しちゃうの

「体壊すといいこと無いよ。なんで体壊しちゃうの」
https://twitter.com/m7kenji/statuses/212065430221766656

僕の言葉足らずで回りの人達に刺激を与えてしまいごめんなさい。
反省します。でもツイートを消すのも解決した事にならないので残します。
何を考えてこうつぶやいたか説明します。
まず、僕がいいたい事は体を壊したことを責めている訳ではないこと。
ましてや体が弱い人を責めている訳ではないこと。
責めているのではなくて疑問です。
なぜ体が壊れるまで動くのか。

体が壊れるまでやらなくてはいけないことだったのか。
体が壊れる事で解決することだったのか。
体が壊れる事を皆が望んでいたことなのか。

自分のリミットを知るべきだと思うし、その失敗を次に繋げていく必要があると思う。
決して誇れる事ではないし、反省すべき事だと思う。

自分自身が倒れないために、他人とのハンデをはっきりと自覚して、時にはそれが回りから反感を買う事があっても孤独の中で自分で自分を必死に支えている人がいる。
ギリギリの緊張感の中で自分の無能さに歯を食いしばり今自分が出来るを事をし、今日出来ないことを少しでも明日出来るようにコンクリの下に生える雑草のような気持ちで上を向く人がいる。

そういう人達もいる中、頑張りすぎて体壊したとか聞くと
何だか、それってかっこ悪いなと思ってちょっと呟いただけです。

必要以上にそういう言葉に反応してしまった自分も馬鹿だと思うけど。
それで迷惑を掛けてしまって反省してる。

本当に体壊す必要ないと思う。いいこと無い。
自分の面倒見ようよ。
失敗だっていっぱいあるよ。
でも子供の面倒を見るように育てなくちゃいけない。

親が自分の子供を愛するのが当たり前のように
自分に無能の判子押す前に自分自身にだって愛情を持たなくちゃいけない。
泣きべそばかりかかない為にも自分を育てなくちゃいけない。

そういう意味でご自愛くださいと思う。


*logタイムスタンプ

6月。君もどうか幸せに。何をどう考えていたのだろう。

僕は26歳になり、2012年は半分を過ぎた。
今何があるか。1つは僕が今まで仕事をしていた会社が大きい所へ吸収された。子会社として会社の名前は残るかもしれないけど、胃の中に入った食べ物の様にゆっくり溶かされて消えていくだろう。今関わっているプロジェクトが終わったら僕は契約を見直す事となり、そこでどうするかを決めることとなる。

今までの会社は外注として契約して頂き時間の面でとても融通を効かせてくれた。でも次の場所ではそうはいかないと思う。仕事の内容も細分化されて決められた範囲外の事は出来ないと思う。画像なら画像。コーディングならコーディング。デザインならデザイン。それは僕の仕事に対するモチベーションを維持させる物だろうか。

良いにせよ悪いにせよ以前は1人でなんでもできる必要があった。勤め始めて数年は仕事のやり方を教えてくれるような人はおらず上に立ち仕事を進める人もおらず、自分で全て出来るようにならざるおえない緊張感がそこにはあった。そこで泥を被りながら覚えた技術は今の自分の表現に全て繋げている。僕はその恩恵を新しい職場でも受けることが出来るのだろうか。まだ天秤に乗せるだけの判断材料が少ないけれど今のところマイナスなイメージが多い。

そして僕は何でこんな苦労してMacに触っていないといけないかというと、やっぱし自分のために作品を作りたいからだ。 自分のリソースをどこかの看板を背負ったり他人のために100%捧げる生き方は出来ない。生き方は出来ないというより生き方”が”できない。
どんなに辛い仕事でも自分の力に繋がるから頑張れる。実現できない事が実現出来る様になれるから頑張れる。正直それがお金のためだけだったり、誰かの名誉だったり、社会的スペックを得るためだけだったら僕はリタイアしてるだろう。
それは人によっては歪んでいるかもしれないけどそれが僕という性格なんだと。

そんな生き方をして将来生きていけなくなる時期が来たとしたら、きっと蛙に食われる虫の様に、僕という人種がなにかこう大きい自然の摂理によって消える時期なんだと思う。
インドで日本人がお腹を壊す様な生水を飲めないと死んでしまうように、日本では安定した職につかないと生きていけないという事なのかもしれない。半分諦めてる。それはインターネットで聞いた話。なんだつまらない。

でもどうせ心はそんなに成長してないから同じ事言いながらズルズル生きてると思うよ。

2つ目は、とてもチャンスな制作の依頼が来ていて。今月はそれに魂を捧げる予定だ。とりあえず僕は高望みせず、今できる事や表現出来る事を確実に注ぎ込む。
10年経ったあとでも、あの時はあんな事してたねと語り草に出来るような仕事にしたい。


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