Category Archive: Exhibition

navication open

*log20171103~5 m7kenji EXHIBITION @TOKYO PiXEL SAT GALLERY

IMG_0343

2017年11月03日と毎週土曜日の5日間。
東京・蔵前にあるピクセルアートブランド「TOKYO PiXEL.」によるギャラリースペース「SAT GALLERY」にて初の個展を行わせて頂いた。

それからズルズルと日にちは現在は2017年12月06日。
今は喫茶店で一息、小説の章区切りの文末横に広がる空間の様にこういう間は必要でこれからも訪れる様にしなくてはいけない。
しかし何がなんだがなんらかで、今も火を切っても頭の中にボコボコとお湯が湧いてる。

何を残そうか、どうして残すんだろう。それはきっといつかまた自分のことを初めて知ったその人に対して読んで欲しいという思い、勿論現在進行形で自分のことを追ってきてくれている人達へ送りたい言葉もあるだろう、そして記憶が完全に風化した将来の自分自身に対しても思い出して欲しいという気持もあるからで、そのために自分は記録を残す。

NHKのドキュメンタリーで75歳のおじいさんが自分自身の自伝を一から作り、24時間営業のキンコーズで印刷しているシーンを思い出した。家系図も役所に行き洗い出し、学生だった頃の写真もちゃんと載せて、その時自分はどんな奴で何があったのかもちゃんとまとめていてすごかった。
人生を記録するのならばSNSよりこのブログが一番にすべきなんだけど。なのになんで、なんであああ。だめだなあ。ダメ。あー
消火。

改めて。展示だった。それも、従来のイベント参加による合同出展ではなく自分一人のみの展示=個展だった。人によってはそりゃ違うよとなるかもしれないけど、自分の中ではそれくらい一大事な事だった。

展示の準備の流れはこのモーメントに


そして展示の様子はこのモーメントに


モーメントをまとめて最後の辺りで気づいたのだけど、これってまとめられるツイートの最大数があるんだね、レセプションパーティーの様子も消えてしまって悲しい。次から気をつけよう。。

準備のモーメント冒頭にまとめたとおり、今回は本当に当日まで約3週間という急ピッチな準備期間での展示であった。
だけどタイミングが非常によかった。TOKYO PiXEL.さんからお話を頂いたのはPxelArtPark4が終わった直後で、展示する作品や売るものもある程度あるし、頭の中の切り替えもランニングで言えば走り終わりのクールダウンの所だったので準備運動も必要なし。本当にベストだった思う。

内容もギャラリー側との相談の上、今までの作品をまとめたアーカイブ展にする事にした。

実はこれもある意味今年に入ってから自分がやりたいと思っていた事。
自分を見つめ直すということ。忙しさにかまけて自分の内側の色んな事を隅っこに追いやって真ん中が空っぽになってしまっていたんだよね。

(だからその時の気持ちを思い出そうと過去のBlogをまとめた豆本を作ろうともしてた。結局進んでないけど。おお、、身の垢がポロポロ出てくる。。)

展示のタイミングに合わせてiOS11で起動出来なくなっていた各アプリを更新する事が出来たのも心のつかえが取れて良かった。土日に家に篭って他の物事の事は一切考えず頭の中をクリアにして思い入れのある作品達に再度手をいれる事は自分の人生の中で貴重で大事な時間だったと思う。
毎回泥仕合になる開発者認証の手順やプロビジョニングプロファイルの取得やAppIDの申請手順とかもだいぶ慣れたよね。慣れたはず。

展示開始直前まで、もしぜんぜん人が来なかったらどうしようととても不安だった。なんせDMもロクに用意せず(サワイくんが代わりに用意してくれたけど)刷っていない。だからこそ当日は沢山のお客さんが来てくれて嬉しかった。

Kenji Kishiさん(@m7kenji)がシェアした投稿
本当に色んな人が来てくれた。
遠方から展示のためだけに来てくれた人もいたし、10年以上前の携帯電話の待受を配信していた時代から僕の事を追ってきてくれ方も多くいたし、自分が作ったマフラーをカップルで巻いて来てくれた方もいたし、高校生の子も来てくれて、まだ金銭的にはそこまで余裕がないはずなのに大きい作品を買ってくれた子もいた。そしてBUGTRONICAのドット絵再現した力作のクッキーを焼いてきてくれた方もいた。さっと来てさっと出ていった人もいたけどネットではないリアルの場所に足を運んで来てくれた事自体とても嬉しかった。


そうした方々に向けてBUGTRONICAの開発ノートを公開出来たことは作品を愛して来てくれた人に対して自分なりのお礼が出来て良かったと思う。

そして、何より、自分はどんな人達に向けて作品を作るべきかがわかった様な気がする。

今までは大きく開いた暗い穴に向かって感情を投げるような気持ちだったけど、今はその穴の向こうの景色が見えるというか。自信を持つことが出来た。

自分の仕事は絡まった糸を解す事がまず大事で、凄さとか目に見える成果はその後から追いついてきて欲しいと願う。
今はまだその状態に少しも近づけていない走り方だけど。


IMG_9538
IMG_9710
展示が終わり撤収日に荷物を片付けた帰り、慌ただしく過ぎていった展示の日々が現実味を帯びて頭の中に染み込んでくる。
改めてこの様な機会を与えてくれた大図さんを初めとするTOKYO PiXEL.の方々、展示準備を平日でも好き勝手にやらせてもらったHANDSUMの社内環境とメンバーには感謝をせずにはいられなかった。

ちなみにHANDSUMには今のところ草津の土産に買った草団子しか具体的なお礼をしていない。しかもその草津も有給を使って行っている。

これから、どうしようかな。
目下の目標はまずは豆本の完成だと考えている。

考える事が出来る頭が欲しい。止まっている作品を動かすには思考ができる頭のスペースが必要で豆本の作成はそれに繋げるための思考の整理で歯車を動かす潤滑油だ。

そのために、まずは人並みに人並みの事を考えられる様になろうと思う。
そして最近弟に子供が生まれたのでお祝いに何を買おうかも悩もうと思う。


*log信仰

1916303_1038681572840447_1350648660133101403_n 12821583_1038685699506701_4080038180785777149_n
「信仰」2016/2/25〜3/8 Exhibition”ピクセルアウト”@中野Pixv Zingaro

2015年2月25日〜3月8日までピクセルアウトというたかくらくんによる企画展に参加していた。自分の作品は「信仰」という作品。
信仰とはなんぞや。なんだか宗教めいた言い方だけどそういう意味じゃなくて、ただ信じるという事。

今回こういうコンセプチュアルな展示に出るのは初めてで作品を作るときは色々悩んでしまった。
ドット絵という言葉の上で物を考えると、どうしても自分の中で世間のドット絵と何か間違いがないか、間違いが無いという事は見てて退屈じゃん、新しくないじゃないかとかドロドロした作意と粗探しが始まって上手くいかないしどんどん自信無くす。腰も痛くなっちゃう。

僕がドット絵を定義するなんてとんでもない、やり方なんて好きにやってくれよ。やってほしい。それより僕は表現に向かい合う人の気持ちや背景に興味があるし考えてることだってそれだ。
今になって思うことだけど、まずそれが新鮮か、驚きがあるか、意味があるものかより先に自分と創作の立ち位置をちゃんと考える必要があったと思うし、それがある意味今現在の自分の正直なレベルなんじゃないかと思う。

この作品を作っている最中、唐突に予約したビジホで1人で部屋を真っ暗にして四角い天井を見つめいて。それが底の無い穴に見えた時に僕はいつの間にか分厚くなっていた本音と建前の仕切りを少しずつ崩していた。

「大体なにか。作意みたいな物があるんじゃないかと思ってそれがいやだ
。驚かしてやろうとか斬新とか新鮮とか、それが目的か?でも批判的な態度をとらないのは誰も傷つけたくないから?というのは結果的に自分を守る事に繋がるからなのではないか。消極的な。じゃあ暴力に頼ることなのか、それをわざわざ作品にのせるか。嫌だ。←僕はなるべくみんなの前ではいい顔をしたい欲が歯止めするのか、欲と言ってしまうからには何か後ろめたい事があるのだろう。大体はビカビカしたのキラキラしたのエロいのグロいのとかわかりやすいものが好き、反面わかりやすいのを嫌う、それは諦めてるだけじゃないのか。色々あるけどわかると楽しい、またわかりたくなる。これは事実。おかわりとおわかり。わかりやすいとわかった後にぼんやりした不安が残るわかった事を思い出すのを忘れてまた次のわかりやすいのをわかる消費。ページの上部を延々と引っ張って更新し続ける様な絶望。噛みしめるということを忘れない事。噛みしめるということはそれが思い出になるという事。ほんとはゲームオーバーを繰り返すのが理想。でも僕には(きっと僕以外にも)コンテニューをする時間がない。
わかろうとする姿勢が人間らしいわかる必要が無いという足場を崩す、程良い緊張感。」

つまり答えじゃなくて考え方を知りたい
こうまでもしないとわからないなんて!

僕は本当に色々自信がない。自分の作品や行動や言動が数年前に比べ沢山の人の目に触れるほど自分が自分自身に抱く期待が増えていくし、その期待に答えたいという思いがアウトプットの手前に沢山の判断を作っていく。これは○これは×で、これはどう?
沢山の判断を前に僕は僕の自信の無さから当たり障りの無い言動や行動や表現をひょいひょいと選んでしまうんじゃないか。
自信がないのは要は僕は単に傷つくのが嫌なだけで、そんな心境の中でやり方なんて好きにやってくれよ。僕は表現に向かい合う人の気持ちや背景に興味があるし考えてることだってそれだなんて言い切れるのか?
僕はどんどん年を取っていくしこの先何を原動力として作れば良いのだろう?他人の目で傷つく事を恐れながら表現の価値基準を他人に委ねて必死に社会に干渉するのは自分の首をゆっくりと絞める事と同じではないだろか。

この作品は等身大の自分を確認出来るように現実世界に反映させた作品で、自分自身の価値基準や判断を信じてあげられる心を持てるように向き合う姿勢、そして肯定する意味で信仰という名前にしました。

色は1色で1次元的な範囲で僕の分かる範囲で確実に絵を考えたい。
携帯電話は僕が育った画面越しの世界で、僕が好きだった表現のフィールドです。携帯越しに映る作品の世界はバーチャルだけど現実的でみんな思い思いの事を口にして地味な作品ねとか言っている。それを含めて等身大の自分を受け入れられる様にというか。

自分に始まり自分で終わる、企画展に出すには恐ろしい作品だなと思う。ゴメンナサイ。
それでも力のあるビジュアルを作れたと思っているし、もし展示期間中に心境の近い人が足を止めてくれる人がいたら嬉しいと思う。ドット絵だからというわけでなく技術的に優れてるとかでなく単純に心に響くものがあったら嬉しい。そうやって響いた物にはみんな自信持って欲しいと思うしその拘りを自信を持って育てて欲しい。それが文化だと思う。流されないで。

もう時間を見つけてはこのテキストを直して細かいとこ直したりしてもどんどん言い訳がましくなってくるのでこのあたりでテキストを投げるとする。もうパイプの中はドロドロに油とか詰まってる状態だからもっとアウトプットを繰り返さなきゃ。。

(これ書いてる)今日業務スーパーに言ったんだけど大量の冷凍食品を見て楽しくなった、そして大長編ドラえもんのブリキの迷宮を見た。技術進歩した星の人達が脳波でなんでも操作出来る機械を頼り続けたためにロボットたちに支配される事になってしまった内容が描かれていて、未来の技術で自滅やばいなあと思ったのだけどもドラえもんの方の未来の道具は所々使い勝手が悪っかたり何のための道具か分からないところがあって(例えば荷物運び用お荷物という存在とか絶対安全救命いかだはスピードを出すにはわざわざオールで漕がないといけないとか)如何にこの先便利な世の中になってもそういう何かしらの行動に付いてくるやっかいさだったり面倒くささみたいなストレスは大事だなと思った。
とかそんな事をな。


Design Festa vol.40 m7kenji x TORIENA合同展示

B1_DfOwCMAAE0Jb

2014年11月8・9日(土日)。
東京ビッグサイトにて行われるアートの祭典「デザインフェスタ」にTORIENAとm7kenjiが合同で出展しました。

https://docs.google.com/document/d/17l3b_gfjvyGZFe1jy_ACxmSGxaNiA-lGBbAbFgiWADk/edit#
http://www.designfesta.com/

Click here to read more »


*logおにぎりがいっぱい

140527_onigiri

https://docs.google.com/document/d/1u-sp9yM_jE0Y6xNZz6MNg7CRBjCyq5tyXvhNjiXeQ3A/edit
Click here to read more »


13.11.02-03 DESIGN FESTA vol38

DF38_2

2013/11/02(sat)03(sun)

東京ビッグサイトにて行われるデザインフェスタVol38に出展します。
参加は実に数年ぶり。テーマはBUGTRONICA。
Click here to read more »


1 / 2
Archive